大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和51年(ワ)11611号 判決

原告 ザ・ブーツ、カンパニー、リミテツド

被告 富山化学工業株式会社

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

当事者の求めた裁判及び当事者の主張並びに証拠関係は別添要約書の通りである。

理由

一  請求の原因一、二、五、六の各事実は、当事者間に争いがない。

二1  本件明細書の特許請求の範囲の記載に掲げられている出発物質を示す一般式及び目的物質を示す一般式においてR2をメチル基とした場合が、本件特許発明の技術的範囲に含まれるかどうかについては当事者間に争いがあるが、この点はしばらく置き、被告が使用しているイブプロフエンが、右特許請求の範囲に記載されている目的物質を示す一般式においてR1をイソブチル、R2をメチルとして選んだ物質であることは明らかであり、原告は、これを前提として、イ号方法が本件特許発明の技術的範囲に属する旨主張するので、これについて判断する。

2  対比

(一)  イ号方法を、原告が主張する本件特許発明の構成要件と対比すれば、請求の原因七1(三)記載の通りの差異が存することは当事者間に争いがない。すなわち、本件特許発明においてイブプロフエンを製造する場合の出発物質は2―メチル―2―(4―イソブチルフエニル)―酢酸メチル

であるのに対し、イ号方法の出発物質は3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)―ピルビン酸メチル

であるという差異が存し、また、本件特許発明における処理手段は加水分解であるのに対し、イ号方法の処理手段は第一工程で前記出発物質を加水分解し、第二工程で酸化するものであるという差異が存するものである。

(二)(1)  右(一)によれば、イ号方法の出発物質は、本件特許発明の右出発物質と比較して、イブプロフエンを製造するために加水分解処理によつてカルボキシル基(―COOH)に変換しなければならないエステル残基(COOCH3)を有する点は共通であり、α―位にカルボニル基を結合している点において相違していることが認められる。

(2) 原告は、右α―位のカルボニル基はイ号方法において単に除去されるという以外に何らの意味もない不要の基であり、したがつて、このようなカルボニル基の有無はイ号方法と本件特許発明とを分かつ実質的な差異とみることはできない旨主張する。

しかしながら、一般にα―ケト酸の酸化では、次の反応機構で末端のカルボキシル基が離脱し、内側にあるカルボニル基に水酸基が付加されてカルボキシル基となることは当事者間に争いがなく、

右反応機構によれば、イ号方法の出発物質において酸化により離脱するのは、次の化学式の(甲)、(乙)二つのカルボニル基のうち、(乙)のカルボニル基であり、(甲)のカルボニル基(α―位に存したもの)は必ず残ること、及び(乙)のカルボニル基は官能基として生成反応を生ぜしめるのに必要な基であることが認められる。

原告は、右の点につきイ号方法の出発物質は次の化学構造式を有し、

イブプロフエンは次の化学構造式を有するから、

結局α―位のカルボニル基が除去されたことになる旨反論する。しかしながら、右は、生成反応により生じた結果のみをとらえて、イ号方法の出発物質のα―位に存していたカルボニル基が不要の基であると主張するものにすぎず、前記のような反応機構においては、離脱したカルボニル基ですら官能基として必要な基であつたものであり、イ号方法の出発物質において不要なカルボニル基なるものが存しないことは明らかである。

(三)(1)  イ号方法は、その第一工程において加水分解によりエステル残基(―COOCH3)をカルボン酸残基(―COOH)に変換する点で本件特許発明と同一の処理手段を用いていることは前記(一)より認められる。しかしながら、イ号方法はその第二工程で酸化という処理手段を必要とし、この点で本件特許発明にはない処理手段を用いており本件特許発明と差異が存することは前記(一)の通りである。

(2) 原告は、右の差異につき、イ号方法においては本件特許発明の出発物質には存在しない不要のカルボニル基の除去をその第二工程において行う点で本件特許発明の処理手段と相違するにすぎない旨主張するが、そもそも、イ号方法の出発物質に存するα―位のカルボニル基は不要の基ではないこと前記二(2)の通りである以上、原告の右主張は失当である。

ところで、成立に争いがない乙第三号証の一ないし三によれば、カルボン酸の合成法として、A加水分解、B酸化、C有機金属化合物のカルボネーシヨン及びカルボキシメチレーシヨン、D縮合、Eアルカリ開裂、F置換及び付加、G転位の七種類の製法があることが認められ、イブプロフエンがカルボン酸の一種であることは自明であるから右分類によれば本件特許発明の製法は加水分解によりカルボン酸を生成するものとして右の加水分解による合成法に分類されるのに対し、イ号方法はその第二工程において酸化によりカルボン酸を生成するものであるから右の酸化による合成法に分類されるものであり、イ号方法は本件特許発明の製法とはそもそも分類を異にする製法であることが認められる。

また、いずれも成立に争いのない甲第二号証(本件特許公報)、甲第一一号証の一、二及び乙第七号証の一、二によれば、本件原明細書においては本件特許発明の目的物質を得るための製法として、別表に示す1ないし11の製法が掲記されていたのであるが、これらの製法のうち、2ないし4及び10の各製法の最終工程及び6の製法については本件特許発明において特許請求されたものの、本件分割特許出願として別途特許出願された5の製法、及び残りの1、7ないし9、11の各製法については本件明細書には全く記載されず、本特許発明においては結局特許請求されなかつたこと、すなわち本件特許発明の出願人はこれらの製法については本件特許発明から意識的に除外したものであること、並びにこれら本件特許発明から意識的に除外された製法のうち、前記5の製法は別表の化学式に示すように加水分解の後に脱炭酸という別個の処理手段を用いるものであり、前記7、8の製法は別表の化学式に示すように加水分解の後にリン及びヨウ素で環元という別個の処理手段を用いるものであることが認められるが、加水分解の後に酸化という別個の処理手段を用いるイ号方法と、加水分解により直接目的物質を製造する本件特許発明の方法との差異が無視しえないものであることは、右のような本件特許発明の出願の経過からも明らかである。

(四)  右(一)ないし(三)によれば、イ号方法は、そもそも原告が主張する本件特許発明の出発物質、処理手段の構成要件を充足しないだけではなく、本件特許発明の製法とは実質的な差異を有する技術的に別個の範疇に属する製法であると認めるのが相当である。したがつて、仮に原告が主張する通り本件特許発明に加水分解によるイブプロフエンの製法が含まれるとしても、イ号方法が本件特許発明の技術的範囲に属するとの原告の主張は、到底採用できない。

3  原告は、本件特許発明により生成される目的物質は新規物質であり、かつ、その目的物質がアセチルサルチル酸よりも優れた予期しえざる価値ある消炎、鎮痛及び解熱作用を有し、医薬としての有用性を有する点に発明の特許性があるものであり、処理手段が慣用のものであるか否かにかかわりなく特許されたいわゆる化学的類似方法の特許発明であるから、その技術的範囲を確定するにあたつては、その目的物質を重視すべきであつて、目的物質が同一である以上、イ号方法の出発物質と処理手段が本件特許発明のそれと差異があるとしても、イ号方法の処理手段自体慣用手段に外ならないから、右差異は微差にすぎず、また、仮に右差異によりイ号方法が本件特許発明の構成要件の一部を充足しないとしてもイ号方法は本件特許発明の方法と均等であり、いずれにしてもイ号方法は本件特許発明の技術的範囲に属すると主張する。

しかしながら、本件特許発明が化学物質について特許を受けることができない旨規定していた旧特許法(昭和五〇年法律第四六号による改正前のもの)の下で化学物質の製法の発明として特許された以上、その技術的範囲はあくまでも出発物質、処理手段、目的物質の三つを必須の構成要件として認定すべきであり、目的物質を過大に重視し、目的物質が同一でありさえすれば、出発物質及び処理手段の構成要件を全く充足しえない技術的に別個の範疇に属する製法までもその技術的範囲に包含せしめるような解釈はなしえないことはいうまでもない。イ号方法が本件特許発明の構成要件を充足せず、本件特許発明の方法と技術的に別個の範疇に属すること前記の通りであるから、右差異を本件特許発明の技術的範囲を確定するにあたつて無視しうる微差であるということはできず、また、原告が請求の原因七2で主張する範囲にまで均等の幅を広く認める理論的根拠はないといわなければならない。原告の右主張は採用できない。

また、原告は、日清製粉の特許出願についての特許異議の申立を認めた決定は、イ号方法が本件特許発明と単に微差を有するにすぎない旨の原告の主張と理論的根拠を一にする旨主張するが、成立に争いのない甲第一五号証の一、二によれば、右決定は、日清製粉の特許出願(特願昭四八―一一一六五号)に係る発明が、その出願時(昭和四八年一月二九日)において、特許の要件を有していたか否かの問題、特に特許法第二九条第二項が規定する進歩性の問題について判断したにすぎないことが認められ、イ号方法が本件特許発明の技術的範囲に属するか否かの問題について考慮すべき資料足りえないものである。その他、本件におけるその余の証拠によつてみても、前示判断を覆し、原告主張の見解を肯定させるに足る適確な資料は、一つとして存しない。

三  よつて、イ号方法が本件特許発明の技術的範囲に属することを前提とする原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 牧野利秋 清水篤 設楽隆一)

〔別紙〕 表

1.

R1Ph

HCl/HCHO

R1Ph・CH2・Cl―→R1Ph・CH2MgCl

CO2

R1Ph・CH2COOH

―――――→

――→

ZnCl2

2.

R1Rh

HCl/HCHO

R1Ph・CH2・Cl―→R1Ph・CH2CN

加水分解

R1Ph・CH2COOH

―――――→

―――→

ZnCl2

3.

R1Ph

HCl/HCHO

R1Ph・CH・Cl―→R1PhCH2・CN

NaNH2

R1Ph・CH・CN

Na

―――――→

―――→

ZnCl2

MeI

R1Ph・CH・CN

加水分解

R1PhCHCOOH

CH3

――→

――――→

4.

R1Ph

CH3COCl

R1Ph・CO・CH3

ウイルゲロード法

R1Ph・CH2COOH

―――――→

―――――――→

ZnCl2

加水分解

5.

R1Rh・CH2COO Et

Et2CO3

R1Ph・CH(COOEt)2

MeI

R1Ph・CMe(COOEt)2

―――――→

―――→

NaOEt

NaOEt

加水分解

R1Ph・CMe(COOH)2

脱炭酸

R1Ph・CH・COOH

CH3

―――――→

―――→

6.

R1PhCH・COOR3

R2

加水分解

R1Ph・CH・COOH

R2

―――――→

(ただしR3はアルキル基、アリール基またはアラルキル基である)

7.

R1Ph

COCl・COOR3

R1Ph・CO・COOR3

MeMgBr

R1Ph・C(OH)・COOR3

CH3

―――――→

――――→

加水分解

R1Ph・C・(OH)・COOH

CH3

P/I

R1Ph・CH・COOH

CH3

―――――→

―――→

(ただしR3はアルキル基である)

8.

R1Ph・Br―→R1Ph・MgBr

CH3CO・COOEt

R1Ph・C(OH)・COOEt

CH3

―――――――→

加水分解

R1Ph・C(OH)・COOH

CH3

P/I

R1Ph・CH・COOH

CH3

――――→

―→

9.

R1Ph・COOCH3+HCN―→R1Ph・C(OH)・CH3

CN

HI/P

R1Ph・CH・COOH

CH3

――→

10.

R1Ph+CH3・CH・CN

O・SO2C6H3

AlCl3

R1Ph・CH・CN

CH3

加水分解

R1Ph・CH・COOH

CH3

――→

――――→

11. アルコールまたはアルデヒドを相当するカルボン酸に酸化する。(以下、略)

〔式中のR1はエチル、プロピル、ブチル(n-ブチルを除く)、炭素数2~4個のアルキレン、ペンチル(n-ペンチルを除く)、炭素数2~3個のアルコキシ、アリルオキシ、フエノキシ、フエニルチオまたは炭素数1~2個のアルキル基で1位が置換されていてもよい炭素数5~7個のシクロアルキル基を、R2は水素原子またはメチル基を表わす〕

第一当事者の求めた裁判

一 原告

1 被告は、別紙目録記載の方法で製造されたイブプロフエン(化学名2―(4―イソブチルフエニル)―プロピオン酸)を使用した製剤品を製造し、譲渡してはならない。

2 被告は、その占有する第一項記載のイブプロフエン及びこれを使用した製剤品(商品名ナパセチン)を廃棄せよ。

3 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言

二 被告

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二請求の原因

一 原告は左記の特許権(以下、「本件特許権」といい、その発明を「本件特許発明」という。)を有する。

特許番号  第五四〇一三〇号

発明の名称 新規なフエニルアルカンカルボン酸誘導体の製法

出願    昭和三七年二月二日

(イギリス国一九六一年二月二日出願に基づく優先権主張)

出願公告  昭和四三年九月二五日

登録    昭和四四年四月一〇日

二 本件特許発明の特許出願の願書に添附した明細書(補正後のもの。以下、「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の記載は次のとおりである。

「一般式

〔式中R2は水素であつてR1はイソブチル基または第2ブチル基、第3ペンチル基または1―エチルプロピル基を表わすか、R2はメチル基でR1はn―ブチル基を除くブチル基、n―ペンチル基を除くペンチル基、シクロヘキシル基、1―メチルシクロヘキシル基またはシクロヘブチル基、またXはCN、

CNS<

R4

R5

(ただしR4とR5のうち少なくとも一方はアルキル基で他は水素原子であるか、あるいはR4とR5と窒素原子とで複素環を形成する)、CONH2またはCOOR3(ただしR3はアルキル基、アリル基またはアラルキル基)である〕で表わされる化合物を加水分解し、所望により得られた酸を常法によつてその塩に変えることを特徴とする

一般式

(式中R1とR2とは前記と同じである)で表わされる新規な化合物およびその非毒性有機および無機塩の製法。」

三 本件特許発明を構成要件に分説すると次のとおりである。

1 出発物質

本件特許発明の出発物質は左記の一般式を有する化合物である。

(一) 右式中R2は水素又はメチル基である。

(二) R2が水素の場合、R1は次のいずれかの基である。

(1) イソブチル基

(2) 第2ブチル基

(3) 第3ペンチル基

(4) 1―エチルプロピル基

(三) R2がメチル基の場合、R1は次のいずれかの基である。

(1) n―ブチル基以外のブチル基

(2) n―ペンチル基以外のペンチル基

(3) シクロヘキシル基

(4) 1―メチルシクロヘキシル基

(5) シクロヘブチル基

(四) Xは次のいずれかの基である。

(1) CN

(2)

CNS<

R4

R5

ただし、R4とR5のうち少なくとも一方はアルキル基で他は水素原子であるか、あるいはR4とR5と窒素原子とで複素環を形成する。

(3) CONH2

(4) COOR3

ただし、R3はアルキル基、アリル基又はアラルキル基である。

2 処理手段

右出発物質を加水分解して該当する酸を得、また所望によりこの酸を常法で塩に変換する。

3 目的物質

左記の一般式によつて示される新規なフエニル・アルカンカルボン酸誘導体及びその塩である。

右式中R1とR2は1(一)、(二)、(三)と同じである。

四 本件特許発明は、人間や動物の病気を治療するための消炎、鎮痛及び解熱剤としてのフエニルアルカンカルボン酸誘導体の製法に関するものである。

従来、消炎、鎮痛及び解熱剤の分野においては、アセチルサリチル酸が最も有用とされていたのであるが、本件特許発明の解決した課題は次の諸点においてアセチルサリチル酸よりもすぐれた性質を有する新規なフエニルアルカンカルボン酸誘導体の合成である。

(一) 毒性が少ない。

(二) 薬効比が高い。

(三) 水又は水蒸気の存在下で安定である。

(四) 水中で安定である。

五 被告は、訴外日清化学株式会社(以下、「日清化学」という。)が別紙目録記載の方法(以下、「イ号方法」という。)で製造したイブプロフエン(化学名2―(4―イソブチルフエニル)―プロピオン酸)を使用して、昭和五一年四月より業としてその製剤品を製造し、これに「ナパセチン」という商品名を附して販売している。

六 イ号方法を分説すれば次のとおりである。

1′ 出発物質

3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)―ピルビン酸メチル

2′ 処理手段

右出発物質を加水分解して、3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)ピルビン酸ナトリウムに変換(以下、便宜「第一工程」という。)した後これを酸化(以下、便宜「第二工程」という。)する。

3′ 目的物質

2―(4―イソブチルフエニル)プロピオン酸

七 イ号方法は、次に述べるとおり、本件特許発明の技術的範囲に属する。

1 微差の主張

(一) イ号方法を本件特許発明の構成要件と対比するにあたり、本件特許発明におけるイブプロフエンの製造方法の実施態様を次に明らかにする。

(1) 出発物質

2―メチル―2―(4―イソブチルフエニル)―酢酸メチル

(2) 処理手段

右出発物質を加水分解する。

(3) 目的物質

2―(4―イソブチルフエニル)プロピオン酸(イブプロフエン)

なお、イブプロフエンは、本件特許発明の目的物質を示す一般式

において、R1をイソブチル(

CH3

CH3

>CH―CH2―

)、R2をメチル(CH3)として選んだ物質である。

(二) イ号方法を右実施態様と対比する。

(1) 出発物質

本件特許発明の右実施態様における出発物質(2―メチル―2―(4―イソブチルフエニル)―酢酸メチル)

は酢酸エステル誘導体の一種であるのに対し、イ号方法の出発物質(3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)―ピルビン酸メチル)

は、右酢酸エステル誘導体のカルボメトキシ基(―COOCH3)とそのα―位の炭素原子との間に、カルボニル基

―C―

を挿入し結合させたピルビン酸エステル誘導体であるということができる。

(2) 処理手段

本件特許発明の右実施態様における処理手段は加水分解であるのに対し、イ号方法の処理手段は、加水分解をして3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)ピルビン酸ナトリウムに変換(第一工程)した後、これを酸化(第二工程)するものである。

(3) 目的物質

目的物質は、本件特許発明における右実施態様においても、イ号方法においても共にイブプロフエンである。

(三) イ号方法の構成1′、2′、3′を本件特許発明の構成要件1、2、3と対比するに、イ号方法の目的物質3′は本件特許発明の構成要件3を充足するが、イ号方法の出発物質1′、処理手段2′は、本件特許発明の構成要件1、2と比べ、右(二)(1)、(2)の差異が一応存する。

(四) しかしながら、次に述べるように、本件特許発明はいわゆる化学的類似方法の特許発明であり、イ号方法は本件特許発明の技術的範囲に属する。

(1) 本件特許発明は、いわゆる化学的類似方法の特許発明である。

(i) 出発物質、処理手段、目的物質の三つの構成要件からなる化学方法の発明において、目的物質がその特許出願時において新規な化合物であり、かつ、例えば、特定の薬理作用のような予期しえざる、優れた、産業上利用可能な効果を奏する場合には、出発物質が新規化合物であるか否か、処理手段が慣用のものであるか否か(化学方法の本質から通常は慣用手段である。)にかかわりなく、新規な生成物の有用性に化学方法の発明の特許性を認め、その化学方法の発明に特許を付与するのが特許庁のプラクテイスであり、これは化学的類似方法の発明の特許性と呼ばれるものであり、新規化合物たる目的物質の効果をもつて化学方法の発明の効果とみなすものである。

(ii) 右の観点から本件特許発明をみると、本件特許発明は、一般式

で表される目的物質が新規化合物であり、かつ、その目的物質がアセチルサリチル酸よりも優れた、予期しえざる、価値ある消炎、鎮痛及び解熱作用を有し、医薬としての有用性を有する点にその発明の特許性がある。このことは、本件明細書及び本件特許発明の特許出願の審査過程から明らかである。

本件特許発明の他の二つの構成要件のうち、出発物質については、特定の置換基R1がフエニルアルカンカルボン酸基に変えることのできるフエニルアルカン残基に、そのパラ位置で、結合している点において文献未載の新規化合物であるが、このような出発物質の選択は本件特許発明の特許性に直接関係はない(ここが既知化合物を製造するいわゆる改良方法の発明とは著しく相達する点である。)。また、処理手段は、当業技術分野における慣用の処理手段に外ならない。

右の通りであるので、本件特許発明はまさに化学的類似方法の特許発明というべきである。

(2) イ号方法は本件特許発明の技術的範囲に属する。

(i) 前記のように本件特許発明は化学的類似方法の発明であるから、その技術的範囲を解釈するにあたり、発明の特許性に関与する構成要件である目的物質の構成要件が、他の二つの出発物質、処理手段の構成要件に比して重要な意味を有するものといわなければならない。したがつて、本件特許発明の特許性に関しさしたる意味を有しない出発物質、処理手段の二つの構成要件については、本件明細書の特許請求の範囲に記載された文言通りのものと解すべきではなく、これと軽微な差異を有するにすぎないものは、本件特許発明の目的物質の構成要件を充足する限り、当然本件特許発明の技術的範囲に属するというべきである。

(ii) 前記(一)、(二)、(三)の通り、イ号方法は目的物質3′については本件特許発明の構成要件3を充足するが、出発物質1′、処理手段2′については本件特許発明の構成要件1、2を文言通り充足するわけではない。

まず、出発物質については、イ号方法及び本件特許発明の前記実施態様の両者共、目的物質すなわちイブプロフエンを製造するために、加水分解処理によつてカルボキシル基(―COOH)に変換しなければならないエステル残基(―COOCH3)を有する点は共通であり、相違する点は、イ号方法の出発物質がその目的物質を得るために結局は除去しなければならないカルボニル基

―C―

を余分に結合している点だけである。ところで、このカルボニル基は、イ号方法において単に除去されるという以外に何らの意味もない不要の基であり、したがつて、このようなカルボニル基の有無はイ号方法と本件特許発明(の前記実施態様)とを分かつ実質的な差異とみることはできない。

次に、処理手段については、本件特許発明の処理手段である加水分解はイ号方法もその第一工程においてそのまま具有するものであり、ただ本件特許発明においては当然存在しない前記不要のカルボニル基の除去をイ号方法においては第二工程において行う点において両者相違するにすぎない。しかし、イ号方法の右のような第一工程と第二工程を連続して行うことは本件特許発明の出願時における慣用技術に外ならないから、このような処理手段は格別新技術の開示といえるものではない。

(iii) したがつて、イ号方法は、化学的類似方法の発明である本件特許発明の構成要件1、2、3のうち、重要な意味を有する目的物質についての構成要件3はそのまま充足するものであり、ただ本件特許発明の特許性に直接関係のない出発物質及び処理手段の構成要件1、2においてのみ、前記のように、イブプロフエンを製造するという目的に対して何らの価値もない不要のカルボニル基に関連して、本件特許発明と微差を有するにすぎない。

よつて、イ号方法は本件特許発明の技術的範囲に属するものといわざるをえない。

(五) 「特許異議の決定謄本」(甲第一五号証の二)について

被告は、イ号方法は訴外日清製粉株式会社(以下、「日清製粉」という。)により特許出願され、既に公告されている旨主張するが、日清製粉の右特許出願(特願昭四八―一一一六五)(甲第一五号証の一参照。)に対し訴外科研薬化工株式会社が申立てた特許異議にについて、特許庁審査官は特許異議の申立を理由があるものと決定した(甲第一五号証の二)。この決定のうち本件訴訟において争点となつているイ号方法に関する部分を要約すると別表(一)の通りとなる。(なお、右決定において言及されている「甲第4号証」とはドイツ連邦共和国特許公開第二二二八八〇四号公報(甲第一五号証の三)のことであり、「甲第5号証」とは「ジヤーナルオブザケミカルソサイエテイ」(一九一三年発行)(甲第一五号証の四)のことである。)

右決定において特許庁審査官は、

(1) 「第2工程(イ号方法第一工程のこと。)、第3工程(イ号方法第二工程のこと。)はそれぞれ甲第4号証、第5号証刊行物の記載よりきわめて容易になしえたものと認められる。」(傍点原告)

(2) 「本願目的化合物の2―(4―アルキルフエニル)プロピオン酸(原告注・本件特許発明の目的物質中に含まれ、イブプロフエンもこの中に含まれる。)は公知化合物であることを考えると、出発化合物、中間体を設定して反応経路を組み立てることは当業者が適宜行なうことのできるものであり、その工程の組合せによる効果も、容易にとりうる構成から必然的に得られる程度のもので、特に予期されてない効果があるとは認められない。」と判断している。

右のうち、(1)については、(1)記載の二つの刊行物に記載された技術は甲第一二号証に示された慣用技術と同一技術であるから、審査官の右判断は、換言すれば、本件訴訟におけるイ号方法第一及び第二工程における処理手段(加水分解と酸化を連続して行う手段)が慣用技術を利用した極めて容易なものであることを認めたものといつて差支えない。

また、(2)については、審査官は2―(4―アルキルフエニル)プロピオン酸が公知化合物であると述べているが、この物質は本件特許発明によつてはじめて開示されたものである(甲第三、第四号証参照)。そうであれば、当業者にとつては右化合物が本件特許発明の方法によりはじめて生成されたことはよく知られている事柄のはずである。そして本件特許発明の方法とはA出発物質を加水分解してB化合物を生成させる方法である。したがつて、右B化合物を生成させるために「出発化合物、中間体を設定して、(加水分解と酸化を連続して行うという)反応経路を組立てること」も、「A出発物質を加水分解する方法」が知識として前提とされる以上、「容易にとりうる構成」であつて、何ら独創性がなく、いわば本件特許発明の方法の模倣であるにすぎない。しかも、加水分解と酸化処理を連続して行うという技術が、前述のとおり、慣用技術であつて、「きわめて容易になしえた」ものであつてみれば、知識として前提される「A出発物質を加水分解する方法」との差は微々たるものであつて、技術的思想としての差異はないに等しいといえるであろう。

以上の通り、前記「特許異議の決定」において審査官が述べるところは、実質的には、イ号方法が本件特許発明の方法と微差を有するにすぎないとする原告の主張とその理論的根拠を一にするものである。

2 均等の主張

(一) 特許発明と均等な方法とは、特許発明の構成要件の一部をその方法の他の要素と置換えてみても、特許発明と同一の作用効果を生じ(置換可能性)、かつ、そのことが特許出願日(又は優先権主張日)当時における当業者が容易に推考しうる(容易推考性)ような方法であると解する。

したがつて、特許発明と均等な方法であるか否かは、右の置換可能性と容易推考性の二要件が充足されるか否かによつて決定される。

(二) 本件についてこれをみるに、イ号方法の出発物質及び処理手段は右二要件を充たすものである。以下詳述する。

(1) 置換可能性

イ号方法の出発物質である3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)―ピルビン酸メチル

に、イ号方法の処理手段、すなわち、加水分解(第一工程)を施こし、ついで酸化(第二工程)すれば、本件特許発明における前記七1(一)の実施態様における目的物質であるイブプロフエン

が生成される。

したがつて、本件特許発明の右実施態様における出発物質である2―メチル―2―(4―イソブチルフエニル)―酢酸メチル

に換えてイ号方法の前記出発物質を用い、本件特許発明の処理手段である加水分解に換えて、加水分解及び酸化手段を用いても、本件特許発明の右実施態様の目的物質であるイブプロフエンを生成するから、イ号方法の右出発物質及び処理手段は本件特許発明の右実施態様と同一の作用効果を生じるというべきである。

よつて、イ号方法の出発物質と処理手段は本件特許発明の右実施態様における出発物質及び処理手段と置換可能性がある。

(2) 容易推考性

(i) 出発物質

本件特許発明の優先権主張日(一九六一年二月二日)の技術水準においては、例えば、フエニル酢酸メチルエステル

のような本件特許発明の前記実施態様における出発物質(2―メチル―2―(4―イソブチルフエニル)―酢酸メチル)の酢酸同族体が知られていたので、本件特許発明の右実施態様における出発物質の存在する可能性を予測することができ、かつ、当業者にとつては格別の工夫を要することなく容易にこれを製造することができた。これと同様に、本件特許発明の優先権主張日の技術水準においては、フエニルピルビン酸エチルエステル

が既に知られていたので、当然これの同族体であるイ号方法の出発物質(3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)―ピルビン酸メチル)

の存在する可能性を予測することができ、かつ、容易にこれを製造できたものと解するが相当である。

(ii) 処理手段

本件特許発明において、処理手段として加水分解を用いるのは、カルボン酸エステル(―COOCH3)をカルボン酸(―COOH)に変換するためである。右の目的で加水分解を用いるのは、もともと慣用技術の利用であつて目新しい技術ではない。イ号方法第一工程の加水分解も、カルボン酸エステル(COOCH3)をカルボン酸(―COOH)に変換させることを目的としているから、本件特許発明と全く同一の技術である。

また、イ号方法第二工程における酸化は、カルボニル基

―C―

を附加結合している点においてのみ本件特許発明の前記実施態様の目的物質であるイブプロフエンと相違するにすぎない右第一工程終了後の化合物(3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)―ピルビン酸ナトリウム)

から、そのカルボニル基

―C―

を離脱させることを目的とするものであるが、本件特許発明の右実施態様及びイ号方法の目的化合物であるイブプロフエンにおけるカルボン酸(―COOH)を得る目的でケトカルボン酸

―C―COOH

を酸化するイ号方法第二工程の処理は全くの慣用技術である。

したがつて、イ号方法の第一及び第二工程を一括すれば、本件特許発明の右実施態様の出発物質に比してカルボニル基

―C―

を付加結合したイ号方法の前記出発物質からそのカルボニル基が除去されたイブプロフエンを製造することを目的とする処理においては、本件特許発明の前記実施態様における処理に加えて、カルボニル基の除去処理を行うのは当然であり、しかも、右第一、第二工程の連続処理も慣用技術である。

イ号方法の第一、第二工程を連続して行う処理が慣用技術であることを示す一例として、「ジヤーナルオブオーガニツクケミストリイ」第一一巻(一九四六年刊)第四三七ページ(甲第一二号証の一、二)を挙げる。ここに記載された実験例を反応式で示せば次のようになる。

すなわち、フエニルピルビン酸エチル誘導体(II)を加水分解してフエニルピルビン酸ナトリウム誘導体(III)を生成させ、ついで右誘導体(III)を過酸化水素水により酸化してフエニル酢酸ナトリウム誘導体(IV)を生成させ、これを塩酸で酸性化して、フエニル酢酸誘導体(V)を得ている。

(iii) 以上の通りであるから、その存在の可能性が予測され、かつ、容易にこれを製造できた3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)―ピルビン酸メチルを出発物質とし、これに慣用技術である加水分解及び酸化処理を処理手段として用いれば、イブプロフエンが生成され、本件特許発明と同一の結果が発生することは、いわゆる当業者にとつて、本件特許発明の優先権主張日の技術水準において、容易に推考できたものというべきである。

よつて、イ号方法は本件特許発明と均等な方法であり、本件特許発明の技術的範囲に属する。

八 以上の通り、イ号方法は本件特許発明の技術的範囲に属するものであるから、被告が業として、日清化学がイ号方法によつて製造したイブプロフエンを使用して、その製剤品を製造し、販売する行為は本件特許権を侵害するものである。

よつて、原告は被告に対し、イ号方法により製造したイブプロフエンを使用した製剤品の製造、販売の禁止並びに被告占有にかかるイブプロフエン及びその製剤品の廃棄を求める。

第三請求の原因に対する答弁及び被告の主張

一1 請求の原因一は認める。

2 同二は認める。

3 同三は否認する。

4 同四は争う。本件特許発明が解決した課題は、単に目的物質の薬効ではなく、これを得るための出発物質の選択及び反応剤を含む処理手段の選択により、出発物質、処理手段、目的物質を組合せた方法を見出したことにある。

5 同五は認める。

6 同六は認める。

7 同七1、2は否認する。但し、同七1(三)については、イ号方法を原告が主張する本件特許発明の構成要件と対比すれば、原告主張の差異が存することは認める。

8 同八は争う。

二 本件特許発明には加水分解によるイブプロフエンの製法は含まれておらず、イ号方法は本件特許発明の技術的範囲には属しない。

1 特許法第三六条第四項の規定によれば、特許明細書の発明の詳細な説明にはその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に、その発明の目的、構成及び効果を記載しなければならず、同条第五項の規定によれば、特許請求の範囲には発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならないとしている。換言すれば、発明の詳細な説明に、発明の構成に不可欠な事項について当業者が容易に実施しうる程度の説明があつてはじめて有効な特許請求の範囲の記載となるものである。したがつて、仮に、発明の詳細な説明に開示されていない内容が形式上特許請求の範囲に含まれていても、この部分は当該特許発明の技術的範囲に属しないといわなければならない。

2 そこで、本件明細書をみると、特許請求の範囲では目的物質は次の一般式で示され、式中のR2は本件に関していえば水素又はメチル基であるとされている。

(一) 右一般式の目的物質の製法としては、大別して次の二つの方法が本件特許発明の願書に添附された原明細書(後記4の分割前のもの。甲第一一号証の一、二はその一部。以下、「本件原明細書」という。)に記載されていた。

(1) R2が水素(酢酸系化合物)の場合について、加水分解反応により目的物質を得る方法。

(2) R2がメチル基(プロピオン酸系化合物)の場合について、マロン酸誘導体の脱炭酸反応により目的物質を得る方法。

しかるに、(2)の方法は後記のとおり分割され別特許となつたので、加水分解により目的物質を得る方法としては(1)だけとなり、この方法が適用されて得られる目的物質は(1)の酢酸系化合物だけとなつたのである。

(二) あるいはイブプロフエンを製造しようと思えば具体的方法は一般式から容易に考えられると思われるかもしれない。しかし、本件の場合このような推測は全くあたらないのである。

原告は本件特許発明の方法によるイブプロフエンの製法の実施態様として、次の例をあげて、これとイ号方法との微差、均等を論じている。

2―メチル―2―(4―イソブチルフエニル)―酢酸メチル→(加水分解)→イブプロフエン

| H2

しかしこの反応は何ら裏付けの伴わないものである。

(1) 右のような実施例は本件明細書にも本件原明細書にも記載されていないし、その示唆さえもない。

(2) 右の出発物質は本件特許発明の優先権主張日はもちろん、今日でも工業的生産方法は知られていないものである。(しいて考えれば、他の方法でイブプロフエンを一旦生成したうえでこれをエステル化することが考えられるが、イブプロフエン製造の原料をイブプロフエンから製造するのは産業上無意味である。)

(3) 仮に、右の反応式の実施例が記載されていたとしても、その出発物質が未公知の場合、その製造方法を明細書に開示しなければならない(産業別審査基準、有機化合物、3・43、(2)B(B)b―甲第六号証の三参照。)。

以上のように、未公知の出発物質の製法さえも示されていないものについては、当業者としては実施しようがないものである。

3 本件明細書の発明の詳細な説明では前記目的物質の一般式中のR2が水素である酢酸系化合物の記載に終始している。例えば、本件特許発明の出発物質の一般式のXがエステルである場合の一般的説明部分で、「本発明の方法によるフエニル酢酸エステルの加水分解は……」(本件特許公報(甲第二号証)二頁左欄一五行ないし二〇行)として、前記R2が水素であるフエニル酢酸エステルの説明にのみ止まつていて、前記R2がメチル基であるプロピオン酸エステルの加水分解の製法には全く言及していない。ついで、目的物質の薬効説明の部分でも、「これらの化合物の中で、4―イソブチルフエニル酢酸が、毒性が低く、すべての点の活性度が優れた化合物として臨床実験に供された。」(本件特許公報二頁左欄二八ないし三一行)として、酢酸系化合物の代表例の4―イソブチルフエニル酢酸を掲げるのみで、イブプロフエンを含めプロピオン酸系化合物の薬効には全くふれていない。本件明細書中の各実施例をみても、4―イソブチルフエニル酢酸を代表とする酢酸系化合物の製法のみで、プロピオン酸系化合物の製法の実施例は皆無である。また、発明の詳細な説明の欄の末尾の本件特許発明の実施態様を要約した箇所で(1)ないし(5)として要約されたものはすべて4―イソブチルフエニル酢酸の製法に関するものばかりである。したがつて、本件明細書の発明の詳細な説明の欄をみるかぎり、プロピオン酸系化合物特にイブプロフエンについては何らの示唆もなされてはいない。

4 では何故、本件明細書の発明の詳細な説明の欄に開示されていない目的物質(イブプロフエンをはじめとするプロピオン酸系化合物。前記一般式中R2をメチル基としたもの。)が本件特許請求の範囲に記載されているのであろうか。このことは、本件特許発明の出願経過をみていけば明らかとなる。すなわち、原告は、本件特許発明においてはイブプロフエンをはじめとするプロピオン酸系化合物については特許請求する意図がなかつたものといわざるをえない。

本件原明細書においては、目的物質の一般式中のR2がメチル基であるプロピオン酸系化合物については、実施例五としてマロン酸を脱炭酸する方法が開示されていたし、右R2が水素である酢酸系化合物については加水分解による製法が実施例に記載されていた。したがつて、本件原明細書には、本件訴訟に関連する範囲でいうならば、脱炭酸によるプロピオン酸系化合物の製法と加水分解による酢酸系化合物の製法の二つの発明が開示されていたとみることができる。

しかし、前者のマロン酸を脱炭酸してプロピオン酸系化合物を得る製法は昭和三八年六月二二日特願昭三八―三三八七七(乙第七号証の一、二)に分割され(以下、「本件分割特許出願」という。)、前記実施例五の記載とともにすべて本件分割特許出願に移されてしまつた。実施例五にあつたプロピオン酸系化合物の例示や各例示物質の物性説明等もすべて本件分割特許出願に移行し、本件明細書の発明の詳細な説明の欄には、イブプロフエンをはじめとするプロピオン酸系化合物については何らの形骸も残さないこととなつたものである。

これに対し、本件明細書の特許請求の範囲には、目的物質の一般式中R2がメチル基であるものを誤つて残してしまつたため、同明細書の発明の詳細な説明の欄には全く記載のないイブプロフエン等のプロピオン酸系化合物の製法が、形式上特許請求の範囲に残つたものである。

5 よつてイブプロフエン及びその製法は、本件明細書の発明の詳細な説明の欄には全く開示されておらず、形式上本件明細書の特許請求の範囲の一般式に含まれるとしても、本件特許発明の技術的範囲には属しないことが明らかである。

なお、「加水分解によつてイブプロフエンを生成する産業的方法」は現在でさえもこれを明らかにした文献は見当らず、現にこれを行つているという実例も知られてはいない。

また、付言するに、4―イソブチルフエニル酢酸は、「ザ メルク インデツクス」(第八版、一九六八年―甲第三号証の三)にイブプロフエンの直前に掲記されているイブフエナツクと呼ばれる物質である。原告は、そもそも本件特許発明においてはイブフエナツクの権利保護をはかつたもので、加水分解によるイブプロフエンの製法の権利保護を求める意図はなかつたものである。

6 原告は、イ号方法を、加水分解によるイブプロフエンの製法の実施態様と対比しているが(第二、七1(一))、前記のように右の実施態様なるものは本件明細書に記載されているものではなく、特許請求の範囲に形成上含まれる架空の化学反応式であり、かかる架空の化学反応式とイ号方法とはそもそも対比しえない。また、その効果の比較もできない。

以上のとおりであるから、イ号方法は本件特許発明の技術的範囲に属しないことは明らかである。

三 微差の主張について

1(一) 本件特許発明と対比されるイ号方法の第一、第二工程は、それぞれ化学反応としては独立の反応であり、それぞれ出発物質と反応剤により反応して生成物を生成する。すなわち、右第一工程においては、本件特許発明に属しない出発物質3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)―ピルビン酸メチルを加水分解して、本件特許発明の目的物質に属しない生成物3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)―ピルビン酸ナトリウムを生成する反応である。右第二工程においては、本件特許発明の出発物質に属しない前記3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)―ピルビン酸ナトリウムを本件特許発明に属しない処理手段、すなわち過酸化水素水で酸化し、イブプロフエンを得るものである。

したがつて、いかなる観点からみてもイ号方法は本件特許発明の技術的範囲には属しない。

(二) 本件特許発明における方法は、加水分解という処理手段による反応の直接の生成物が、本件特許発明の目的物質であることを要するものであつて、第一の粗原料から目的物質に至る何段かの工程反応の中に、いずれかの段階で加水分解が行われておればよいというものではない。

イ号方法の加水分解(第一工程)と酸化(第二工程)は厳然として別個独立の反応であり、加水分解の補助手段に酸化があるとか、加水分解を助けるための酸化というものではないのであつて、必須要件としての処理手段に、他の処理手段が付加されたというような性質のものではない点に特に注意を喚起する。

原告は、イ号方法の第一及び第二工程の処理は慣用技術である旨主張するが、イ号方法の特許性が問題であるならば格別、加水分解を経て酸化する二つの別個の工程を一括して、本件特許発明における処理手段である加水分解という一つの工程と同一であり、その技術的範囲に属するというのは化学常識外の暴論である。

(三) 原告は、イ号方法の第一、第二工程を一括して論じる根拠として、発明の単一性についての有機化合物の審査基準(「複数工程からなる方法の発明は、工程数が複数であるという理由だけでその単一性を失うことはない」)を引用して反論するが、これは、審査基準における数工程を一括して一発明としうるという発明の特定の問題と、かくして特定された工程数の発明の技術的範囲及びこれとの同一性の問題とを混同して論じるものである。すなわち、ある化学方法において数工程を一括して一発明とするか、一工程を一発明とするかは出願人の選択と先行技術に対する新規性の問題から決定されるべき事柄であるが、一旦数工程、又は一工程を一発明として発明を特定した以上は、当該特許発明の技術的範囲及びこれとの同一性の判断は同じ工程についてなされるのは当然である。

2 化学的類似方法の主張について

(一) いわゆる化学的類似方法とは、公知の処理手段により新規有用な目的物質を得る生産方法につき、例外的に方法の発明としての進歩性を認める特許庁の審査手続上の議論であつて、このようにして進歩性の認められた特許発明の技術的範囲につき、明細書の特許請求の範囲の記載を無視してその技術的範囲を拡大解釈することを認めたものではない。

したがつて、本件特許発明が化学的類似方法の特許発明か否かにかかわらず、本件特許発明の特許請求の範囲に記載された出発物質及び処理手段はすべてその必須の構成要件であり、原告のように本件特許発明の構成要件に軽重を付けることにより、みだりに必須の構成要件を軽視することは許されない。

(二) 原告は、本件特許発明の構成要件のうち、その発明の特許性に関与する構成要件である目的物質が他の出発物質、処理手段の構成要件に比して重要な意味を有するとの点は、本件特許発明がいわゆる開拓発明であることを考慮に入れれば当然のことといえるとし、甲第九、第一〇号証を提示して反論する。

しかしながら、甲第九号証をみれば「特許請求の範囲に記載の事項は発明の構成要件という意味ではいずれも同格にみなければならないが、重要度という観点からは自ら軽重がある」(傍点被告)(甲第九号証九九八ページ左欄一〇行以下)といつているのであり、化学方法における目的物質に対して出発物質及び処理手段は無視できるとしているのではない。また、甲第一〇号証においても目的物質が重要としても「軽重と要否を混同してはならない」(甲第一〇号証六ページ右欄一六行)と明言している。化学方法の発明においてはある特定の目的物質を取得することが、その方法の目的それ自体であるからそのような意味においては目的物質の構成要件が重要であるといつてもよいであろう。しかしながら、それ以外の出発物質及び処理手段の構成要件を無視する限りその化学方法は方法として特定されえない。不特定の方法について発明が成立するということはありえない。

(三) 本件特許発明はあくまでも出発物質、処理手段及び目的物質の特定の組合せによる全体の方法が新規であるとの認識において特許付与されたものである。本件特許発明の目的物質中には有用な医薬効果を有する化合物を含むことは認めるが、その他の出発物質、処理手段の構成要件は本件特許発明の特許性に直接関係はなく、右目的物質を得る方法はすべて本件特許権の侵害であるかの如き原告の主張は到底容認できない。化学方法の発明においては、出発物質、処理手段も必須の構成要件であり、これを無視することはできない。

(四) 仮に、原告が主張するように、本件特許発明はその目的物質の薬効に重要な意味がある化学的類似方法の発明であるとしたら、本件特許発明の特許請求の範囲に一般式をもつて記載された目的物質中にはアセチルサリチル酸に比してさして薬効のない多数の化合物を包含しているのであり、したがつて、この点で本件特許発明は無効原因を内包するものと考えざるをえない。すなわち、昭和三九年九月一五日付の審判請求書(甲第一四号証)第六頁ないし第八頁記載の「本願関係消炎剤化合物の薬学的性質」と題する表に示された化合物のうち、本件特許発明の特許請求の範囲の記載に含まれ、かつ、アセチルサリチル酸より優れた効力を有することが明確なものは別表(二)に示すように六個にすぎない。もし原告において顕著な薬効を云々するのであればこれら六個の化合物に本件特許発明を限定すべきであろう。

また、イブプロフエンについては、前記二のように本件特許発明の特許出願時より一貫して本件明細書中には全く開示されず、わずかに前記昭和三九年九月一五日付審判請求書(甲第一四号証)の表の中にその薬効データと共に化学名が記載されたにすぎない。してみると、本件特許発明の重要な点がイブプロフエンの薬効を見出したことにあるとすれば、そのような発明が完成されたと客観的に認めうる時点は、本件特許発明の特許出願に関する限り、昭和三九年九月一五日であり、もし、この日まで本件特許発明の出願日が繰下がるとすると、本件特許発明はその出願前公知の発明にすぎないことに留意すべきである。(乙第四号証参照)

以上より、本件特許発明の特許性を肯定するためには、本件特許発明はあくまでも出発物質、処理手段及び目的物質の特定の組合せによる全体の方法が新規であるとの認識において特許付与されたものと理解するのが妥当であろう。

(五) 原告は、本件原明細書においては本件特許発明の目的物質を得る方法として一一種の方法を番号を附して掲げていた(本件原明細書第八頁下から第二行ないし第一一頁第六行――甲第一一号証の一、二参照。)。しかしながら、本件特許発明の特許権設定登録の時点では、それらのうち第二ないし第四及び第一〇の各方法の最終工程及び第六の方法を一括した方法が本件特許発明の保護の対象とされ、また、第五の方法が本件分割特許出願において保護の対象とされたにすぎない。このことは、明らかに原告は第一の方法及び第七ないし第九、第一一の各方法については特許による保護を全く求めなかつたことを意味している。(この点について、「特許発明の保護範囲は、原則として、特許請求の記載のうち、発明の本質的特徴(・・・・)を基軸とし、本質的でない特徴につき、出願時平均的当業者が、特許公報による発明の開示を受ければ、これにより自己の専門的知識や当時の技術水準、公知例などから、推考容易な同一機能を果たす均等手段で置換した技術(・・・・)にまで及ぶ」(甲第九号証の二、第九九七頁右欄最終項)との立場を採る者も、「出願人が権利放棄をしている場合を除く」(甲第九号証の二前同所)としていることに留意すべきである。)すなわち、原告の本件特許発明が常法による目的物質の製法を包含することを意図したものではなく、多数の製法のうちでも限られた(特定の出発物質に特定の処理手段を用いる)製法についてのみ、特許による保護を求め、その余については本件分割特許出願に規定されたような一つの方法を除いて特許による保護を断念たことは明白である。

3 イ号方法第一工程の出発物質に結合しているカルボニル基

―C―

は酸化処理(第二工程)により除去されるものではなく、また、不要の基ではない。

(一) 一般にα―ケト酸の酸化では次の反応機構で末端のカルボキシル基が離脱し、内側にあるカルボニル基に水酸基が付加されてカルボキシル基となる。

(二) イ号方法第一工程の出発物質おいては、次に示す通り、(甲)と(乙)の二個のカルボニル基が存在している。

右の出発物質を加水分解(第一工程)及び酸化(第二工程)により処理し、イブプロフエンを生成するものであるが、(一)より明らかなようにイ号方法においては、右の(甲)、(乙)二個のカルボニル基のうち酸化により離脱するのは(乙)であり、(甲)は必ず残るのである。また、(乙)は官能基として生成反応を生じせしめるのに必要な基である。すなわち、(甲)、(乙)いずれも反応の手段として、及び最終の目的物質に残される基としてそれぞれ重要な役割を果たしており、特に原告が不要の基と主張する(甲)のカルボニル基は除去されるのではなく、そのまま残るのであつて、決して不要の基ではない。

4 イ号方法の出発物質等に無用の基はない。

(一) 前記のように、最終的に離脱したカルボキシル基も反応において役割を演じた有用な存在であり、また、原告が指摘するカルボニル基は離脱するものではない。これらは一連の工程を経て目的物質を得るためいずれもイ号方法において使用される化合物の構造上不可欠の部分となつているのである。

これらが無用ではないこと、ことにイ号方法が本件特許発明の方法とは独立別個の方法であることについて、更に説明する。

(二) カルボン酸を合成する方法は種々知られいる。例えば「SURVEY OF ORGANIC SYN-THESES」の第七四四頁(乙第三号証)をみると、カルボン酸類の合成法として次のような分類をしている。

(A) 加水分解(エステル、アミド、ニトリルなど)・・・・本件特許発明

(B) 酸化(α―ケト酸など)・・・・イ号方法

(C) 有機金属化合物のカルボネーシヨン及びカルボキシメチレーシヨン

(D) 縮合

(E) アルカリ開裂

(F) 置換及び付加

(G) 転位

そして本件特許発明の方法においては(A)の加水分解により、出発物質として一般式

の化合物を処理して一般式

で表わされる新規な化合物を製造する方法のみを請求しているものであり、その他の前記(B)ないし(G)のようなカルボン酸の製法は本件特許発明においては一切言及されていない。

右記(A)から(G)のうち、イ号方法において採用されているカルボン酸の形成方法はα―ケト酸を酸化する方法すなわち(B)酸化の分類に属するものであり、それに対して本件特許発明の方法は(A)加水分解の分類に属するエステルの加水分解によるカルボン酸の形成方法である。これらの両方法を対比するとカルボン酸を得るという目的が同じであることを除いてはその方法を構成する処理されるべき出発物質及びそれに適用される処理手段は全く異なる。

(三) 本件原明細書第一二頁(甲第一一号証の二)にはアリール酢酸エステル(9)を水素化ナトリウムと反応させてナトリウム塩(10)とし、ついでこれを沃化メチルでメチル化し、アリールプロピオン酸エステル(11)とする反応式が記載されている。

ところが、この反応においては活性水素が二個ある故、最終生成物は右反応式に示すように出発物質(9)と目的物質(11)とジメチル化合物(12)の混合物となる。それ故、通常の有機化学の知識を有する者は、左記反応式に示すように、まず活性水素の一つをカルボアルコキシ基で置換し、マロネート(13)とし、しかる後に沃化メチルでもう一個の活性水素を置換して(14)を生成させ、ついで加水分解及び脱炭酸を行つて目的のアリールプロピオン酸(16)を得ようと考えるのである。

この方法はまさに本件分割特許出願における方法であり、この場合、カルボアルコキシ基の導入は活性水素を一つにしてメチル基が二個導入されることを妨ぎ、さらに活性メチレンの反応性を高めるという意義があるのでる。

(四) 以上のように、ある官能基が無用か否かは一連の反応工程の中で総合的に判断されるべきである。

ここでイ号方法を検討するに、イ号方法は生成されたα―ケト酸に酸化という処理手段を適用することによりカルボン酸を得るものである。この反応は出発物質からイブプロフエンに至る一連の反応工程をして極めて効率的かつ工業的に実施可能ならしめるものである(乙第八号証参照。)。すなわち、このα―ケト酸の酸化という反応を利用することによつて、出発物質からイブプロフエンまでの各反応を能率的かつ高収率に行うことができ、その際、溶媒使用量の節減及び廃液量の低減等の環境衛生、省エネルギーの見地からも極めて有利である。

要約すれば、イ号方法ではα―ケト酸を中間体として経ることが効率的な工業的実施方法を成立させる主要因をなしているのである。

原告は官能基が何故に存在するのかを考慮することなく、単に最終結果のみから無用有用の判断をなしているにすぎない。単にある原子団が除去されたからといつてその原子団はその生成物の反応について無用であるときめつけるのは暴論である。

5 原告は、イ号方法は本件特許発明と「微差」を有するにすぎない旨主張する。

しかしながら、そもそも「微差」という用語は機械についての発明について通常用いられる用語であつて、化学の発明については通常用いられない。なぜならば、化学では「微差」かどうかという量的な問題ではなく、質的変化が重要だからである。例えば、ある物質の化学構造式の一部、場合によつては一原子が変化しただけで化学的性質が異なり、毒物が有用な医薬になつたりすることがある。したがつて、化学特許の分野において「微差」を主張するのは不適当である。

6 「特許異議の決定謄本」(甲第一五号証の二)について

原告は、特許異議の決定謄本(甲第一五号証の二)を引用してイ号方法の処理手段は慣用技術であると主張し、原告のいわゆる「微差」の主張の補強を試みている。しかしながら、右特許異議決定は、イ号方法が本件特許発明の技術的範囲に属するか否かとは全く無縁である。

(一) 右特許異議決定においては、日清製粉の特許出願(特願昭四八―一一一六五号)の発明の進歩性を否定するうえで、本件特許発明は全く引用されていないことに注目しなければならない。右決定においては、むしろ右特許出願の出願人である日清製粉のドイツの特許公開公報(甲第一五号証の三)が引用されており、その刊行日も昭和四七年七月一三日以降である。

原告は、イ号方法は慣用手段による模倣と論じている。しかしながら、右特許異議決定は、イ号方法が本件特許発明の「模倣」であるなどとは全く述べていない。右決定は日清製粉のドイツ特許公開公報と慣用技術とからイ号方法は容易になしうる発明であるとしているのであつて原告の本件特許発明とは無関係である。また、仮に、昭和四七年七月一三日の右ドイツ特許公開公報によつてはじめて、「慣用技術」によるイブプロフエンの製法が容易に推考しうることとなつたのであれば、本件特許発明の特許出願時にはイ号方法を容易に推考しうることは困難であつたことをむしろ明らかにしたといえる。

(二) 右特許異議決定は、日清製粉の前記特許出願の発明の特許性が、その出願時(昭和四八年一月二九日)において存在したか否かの問題、すなわち特許法第二九条第二項の問題を扱つているにすぎない。本件訴訟においては、右特許出願の発明の特許性の議論は全く関連性がない。仮に、本件訴訟においてイ号方法が慣用技術であるか否かを論ずるとしても、右特許出願時よりも一〇年近く前の本件特許発明の優先権主張日(昭和三六年二月二日)又は前記審判請求書提出時(昭和三九年九月一五日)の技術水準を問題とすべきである。以上のように、日清製粉の前記特許出願の発明の特許性が仮に否定されても、そのことだけでイ号方法が本件特許発明の技術的範囲に属することとはならない。

なお、前記特許異議決定については、日清製粉が既に審判請求を行つており、結論は未だ確定していないことを付言する。

四 均等の主張について

1 原告の均等の主張における置換可能性の議論を要約すれば、イ号方法の出発物質3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)ピルビン酸メチルとその処理手段の加水分解(第一工程)と酸化(第二工程)との連続処理の組合せと、本件特許発明の方法の出発物質2―メチル―2―(4―イソブチルフエニル)酢酸メチルとそれを加水分解する処理手段の組合せとは、目的物質であるイブプロフエンが同一であるから、置換可能であるということとなる。この議論の前提には、化学方法に関する特許発明につき均等を考える場合、特許発明の方法と異なるいかなる方法も目的物質が同一であれば置換可能であり、また、それが容易に推考しうるものである以上、すべて特許発明の方法と均等であるという誤つた考えがある。

化学方法の特許発明の構成要件として、一般に大別して、出発物質、処理手段及び目的物質の三つが挙げられる。しかし、実質的にいうと、化学方法の特許発明の構成要件は、どんな出発物質にどういう処理手段を用いるかという二つといつても過言ではない。つまり、目的物質はこの二つの実質的要件を充足すれば必然的に生ずる結果にすぎない。均等における置換可能性とは、同じ出発物質に代替手段を用いて同一の目的物質を得る場合とか、出発物質に代替物質を用い同一処理手段で同一の目的物質を得る場合に、その代替物質や代替手段について論ずる議論にすぎない。出発物質も処理手段も他に置換した場合は、それは全く別方法であつて、一要件を代替物質又は代替手段で置換えうるかという均等の問題ではなくなつてしまう。

原告は、本件ではまさに本件特許発明の方法における出発物質も処理手段も全部取替えて結局同一の目的物質が得られれば置換可能であると論じている。これを肯定すると、方法の特許というより物質特許と同一効力を認めることになり明らかに誤つている。

2 原告は、イ号方法第一及び第二工程を一つの方法として本件特許発明と対比しているが、このこと自体誤りである。

イ号方法第一及び第二工程は、それぞれに異なる反応剤を異なる出発物質に反応させ、それぞれの反応において別の生成物を得ているのであるから、これは通常原料の段階から順次中間体を経て目的物質に至る数段の反応の各段階にあたるのであつて、このうち出発物質は第何工程、処理手段は別の工程、目的物質は最後の工程というようにばらばらに取り出して組合せて対比することは全く誤つた対比であり、本件特許発明にいう出発物質、処理手段及び目的物質の組合せは、本件明細書の特許請求の範囲に示された出発物質に加水分解という処理手段を施した直接の生成物が本件特許発明の目的物質となるという化学反応について特許を得ていることは明らかである。全工程のいずれかにこの出発物質に該当するものが存在し、また他のいずれかの工程に加水分解という処理手段が存在すれば足りるというものではない。

3 出発物質の置換可能性及び容易推考性についていずれも争う。

(一) 原告は、出発物質として、イ号方法第一工程の出発物質を取上げているが、第一工程の出発物質に加水分解を施した場合、本件特許発明の目的物質が生成されないことは明らかであるから、置換可能性がないことは明白である。

(二) 原告は、フエニル酢酸メチルエステル()が知られている以上、本件特許発明の前記実施態様における出発物質である2―メチル―2―(4―イソブチルフエニル)―酢酸メチル

()

が存在する可能性を予測することができ、また、同様に、フエニルピルビン酸エチルエステル

が知られているので、イ号方法第一工程の出発物質3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)ピルビン酸メチル

が存在する可能性を予測することができると主張している。

この主張の論理は、ある新規物質が発見又は創製されると、既に存在する同族体との比較において構造を同じにする部分があればすべて容易に推考できたという議論につながる。右の対比されている二組の化合物は単に共通部分があるというだけで一見して相違する。

また、原告が本件特許発明の実施態様における出発物質として主張する2―メチル―2―(4―イソブチルフエニル)酢酸メチルは、本件特許発明の優先権主張日当時新規物質であり、本件明細書にも何ら開示も示唆もされておらず、またその製法について工業上実施しうるか否か今日でさえ明らかではない。したがつて、このような新規でかつ製造が今日でも困難な出発物質の存在なぞ当業者は当時全く予想しえなかつたものである。しかもこれの代替物質なぞはそれ以上に存在可能性を予測することは不可能であつた。したがつて、出発物質についての容易推考性のみを考えても本件に均等論を適用する余地はない。

4 処理手段の置換可能性及び容易推考性についていずれも争う。

原告は、イ号方法第一及び第二工程を一括して論じているが、前記の通り加水分解によつて行われる化学反応と酸化によつて行われる化学反応は、それぞれに出発物質、反応剤、生成物を有する独立の反応であり、第一工程において酸化という処理手段を用いることもできず、また第二工程においては加水分解を行うこともできないので、本件特許発明の処理手段とイ号方法の加水分解と酸化とは置換不可能のものである。

特許法第七〇条にも明示されているように、特許発明の技術的範囲を定めるためには、特許請求の範囲の記載に基づかなければならない。本件特許発明は、まさに目的物質を直接に得るために加水分解工程を唯一の処理手段として明示している。他方、イ号方法で目的物質を直接に得るための処理手段は酸化であつて本件特許発明における処理手段とは全く別異の方法である。

したがつて、本件特許発明の処理手段とイ号方法の処理手段との間には置換可能性はない。

第四被告の主張に対する原告の反論

一 「本件特許発明には加水分解によるイブプロフエンの製法は含まれていない。」との主張について

1 本件特許発明の目的物質の一であるイブプロフエンについて本件明細書の発明の詳細な説明の欄に具体的な記載がないことは事実である。

しかし、本件特許発明のように、特許請求の範囲に記載されているものが同族体などの近縁化合物を内包する一般式で表現される一群の新規化合物である場合、明細書の発明の詳細な説明の欄には代表的な数種の化合物について具体的な記載がされていればそれで足りると言うべきであつて、明細書の特許請求の範囲に記載された化合物全部について例示することは必要ではない(産業別審査基準、有機化合物、3・43・(2)B(B)a―甲第六号証の三参照。)。

すなわち、4―イソブチルフエニル酢酸

イブプロフエン(2―(4―イソブチルフエニル)プロピオン酸)

とは互いに同族体であり(「同族体」とは同族列に属する個々の化合物を互いにこう呼ぶのであり、「同族列」とは一連の化合物でその組成が互いにCH2ずつ違いのある一群の化合物をいう。―甲第五号証の二参照。)、本件明細書においてはイブプロフエンの同族体にあたる右4―イソブチルフエニル酢酸の製法については具体的記載があるのだから、イブプロフエンについて物性等の具体的記載がなくとも、明細書として何ら不備なところはない。

2 本件特許発明の目的物質の一であるイブプロフエンの顕著な薬効については本件特許発明の出願手続において提出された審判請求書(甲第一四号証)の第七頁に記載されている。

一般に本件特許発明のようないわゆる化学的類似方法の特許発明においては、新規な類似化合物の予期されざる技術効果が特許付与の要件となる故に、出願時願書に添附する明細書にそれがより優れた技術効果を有することを記載することを要するとされる。しかし、場合によつては明細書の補正や意見書によつて技術効果を説明すれば、その説明をもつて出願時願書に添附した明細書にその旨の説明があつたものと同一に取扱われるのが本件特許発明の出願当時の特許庁の慣行であつた(「工業所有権用語辞典」第四〇ページ左欄第九ないし第二二行―甲第八号証の二参照。)。そして本件特許発明の出願手続において提出された前記審判請求書(甲第一四号証)中の技術効果の補足説明が、正に右の慣行により、それが出願時願書に添附された明細書中にされたものと同様に取扱われたために本件特許が付与されたものである。

3 本件特許発明におけるイブプロフエン製造の実施態様における出発物質である2―メチル―2―(4―イソブチルフエニル)―酢酸メチル

は、例えば本件明細書の実施例7(本件特許公報第四ページ左欄)の出発物質である4―イソブチルフエニル酢酸エチルを4―イソブチルフエニル酢酸メチル

に変え、これを水素化ナトリウム及び沃化メチルでメチル化反応に対することにより製造することができる。この反応は本件原明細書第一二ページ例5(甲第一一号証の一一)及び本件特許発明に対応するイギリス特許の明細書(甲第四号証)の第五ページ例5に開示されている。右のようにして得た出発物質に本件明細書の実施例7に記載の加水分解を施せばイブプロフエンが得られる(甲第一六、第一七号証参照。)。また、このことが自明であることは、日清製粉の出願も含め第三者による後願の特許出願の公開特許公報(甲第七号証の一ないし四)からも知れるところである。

なお、被告は本件明細書にイブプロフエンの製法の実施態様の記載がないから、イ号方法との効果の比較もできないと主張するが、前記のように本件明細書にイブプロフエンの製法の実施例の記載がないことは格別非難されるべきものではないし、また効果の点についても、本件特許発明のような新規物質製造の開拓発明においては、その製造が産業上可能な程度の予測ができれば足りるのであつて、特に収率などを記載する必要はない(「特許ニユース」(昭和五三年五月一六日)(甲第一〇号証)第一〇ページ左欄第二二ないし第二四行)。

4 以上のように、本件明細書にイブプロフエンの製法の実施例が記載されていないということは、せいぜいイブプロフエンが本件特許発明の代表的な目的物質とは認め難いといえるだけのことであつて、イブプロフエンが本件特許発明の目的物質に含まれないとする被告の主張は誤りである。

二1 イ号方法第一及び第二工程を一括して本件特許発明と対比することは正当である。

イ号方法第一及び第二工程を一括した連続処理は、第一工程の出発物質3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)ピルビン酸メチルを出発物質としたイブプロフエンを製造するという単一の目的を達成するための一貫方法とみることができる。

被告はイ号方法第一及び第二工程はそれぞれ化学反応としては独立の反応であると主張するが、工程が二つあるというだけの理由で、イ号方法の工程がイブプロフエンという目的物質製造のための単一方法であることを否定することはできない。このことは有機化合物の審査基準の「発明の単一性」の項(3・41(3))において、「複数工程からなる方法の発明は、工程数が複数であるという理由だけでその単一性を失うことはない。」(甲第六号証の六)と説示していることからも窺えるところである。

更に実質的に見れば、イ号方法第一工程の前記出発物質とイブプロフエンとの比較において右出発物質がイブプロフエンとその化学式において相違するのは、

(a) カルボン酸のエステルである

(b) 余分なα―位のカルボニル基を有する

の二点のみであることは何人にも明らかである。したがつて右出発物質がイブプロフエンの製造を目的とする出発物質として選択された限りは、当然何らかの手段によつて(a)CH3及び(b)COの差異を取除かねば、右出発物質がイブプロフエンとならないことはいうまでもない。

しかるに、このような(a)及び(b)の差異を取除く手段としては、「ジヤーナル オブ オーガニツク ケミストリイ」第一一巻第四三七頁(甲第一二号証の二)に示されているように、まず加水分解を行い、次いで、酸化するという処理方法が当業者によく知られているのである。しかも、右出発物質からイブプロフエンを製造するためには、右のような連続処理方法を用いることが、化学常識上、まさに常套手段であるとしかいいようがない点を考慮すれば、この慣用のルートとしてのイ号方法第一及び第二工程を一括処理方法と考えることに何らの不合理もない。

以上のように、イ号方法第一及び第二工程は化学常識上自明の一括処理法方法であり、これは単一の方法であると考えるべきであるから、たまたま本件特許発明が一工程であるからといつて、両者の対比を排斥する理由は全くないというべきである。

2 本件特許発明の構成要件のうち、発明の特許性に関与する構成要件である目的物質が、他の出発物質及び処理手段の構成要件に比して重要な意味を有するとの点は、本件特許発明がいわゆる開拓発明であることを考慮に入れれば当然のことといえる。

また、このような構成要件の中に重要な意味を有する構成要件とそうでない構成要件とがあるとする考え方は、甲第九号証の一、二、第一〇号証の各文献に示されているように正当な考え方である。

3 一般にα―ケト酸の酸化では、次の反応機構で末端のカルボキシル基が離脱し、内側にあるカルボニル基に水酸基が付加されてカルボキシル基となることは、被告主張のとおりである。

しかしながら、次に述べるようにイ号方法第二工程の酸化処理により離脱するのはカルボニル基

―C―

である。

イ号方法第一工程の出発物質はα―ケト酸に分類される3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)ピルビン酸メチルであつて、これは次の化学構造式

を有する化合物である。

なお、ここで注意を喚起したいのは、化学構造式とは化合物を構成する各原子の結合状態を理解しやすくするための便宜上の式にすぎないということである。したがつて、化学構造式は例えば物品の図面のように物品の形状などを表すものではない。

前記化学構造式におけるα―位とは末端位に存在するカルボメトキシ基

―O―OCH3

を形成する炭素原子に隣接する炭素原子の位置を表わし、β―位はこのα―位に隣接する炭素原子の位置を示す学術用語であつて、カルボニル基自体はそれがα―位に存在しようと、末端位に存在しようと

―C―

で表わされる基であることに変わりはない。

次に、イ号方法第一及び第二工程の連続処理の結果として得られるイブプロフエンの化学構造式を示せば次の通りである。

この化学構造式はイブプロフエンにおいてはもはやα―位にカルボニル基が存在しないことを明示している。

したがつて、前記のような反応機構によつて出発物質の末端位のカルボニル基が離脱して、イブプロフエンを生成しても、出発物質及びイブプロフエン両者の前記化学構造式を比較した場合、両者の化学構造式は末端位ではなく、α―位におけるカルボニル基の有無の違いを示していることに変わりはない。右から、イブプロフエン製造のために不要なα―位のカルボニル基が消失したことは明らかである。

4 被告は乙第八号証においてイ号方法と他の方法との比較を試みているが、本件訴訟におけるイ号方法は乙第八号証にいう「イ号方法」のうちの第4及び第5工程のみに限定されており、同号証にいう「イ号方法」の第1ないし第3工程は本件訴訟と関係がない。したがつて、乙第八号証の比較はそれ自体無意味である。

第五証拠関係〈省略〉

目録

3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)―ピルビン酸メチル

のナトリウムメチラートのメタノール溶液を水に加えて加水分解して3―メチル―3―(4―イソブチルフエニル)―ピルビン酸ナトリウム

を生成し、これを単離することなく引き続き過酸化水素により酸化して2―(4―イソブチルフエニル)―プロピオン酸(イブプロフエン)

を生成する方法。

特願昭48-11165号(特公昭53-35068号)特許異議申立事件における第2(加水分解)工程および第3(酸化)工程(本訴訟におけるイ号方法第1および第2工程)に関する部分の要約

申立の理由および証拠

答弁

決定書中の判示

甲第4号証(注・本訴訟における甲第15号証の3)の

及び

甲第5号証(注・本訴訟における甲第15号証の4)の

から第2及び第3工程がきわめて容易に予想しうる。甲第4号証及び甲第5号証に記載されている反応を順次適用して、公知化合物を製造したものにすぎない。従来法にくらべて格別の効果を奏しえない。

本件に相当する化合物を教示する記載がない。予測できない効果を奏する。

本願目的化合物は公知であり、この種の加水分解反応及び酸化反応において、アルキル置換基は障害になるものとも考えられないので、甲第4号証及び甲第5号証よりきわめて容易になしえたものと認める。

本願目的化合物が、公知化合物であることを考えると、出発化合物中間体を設定して反応経路を組み立てることは当業者が適宜行なうことのできるものであり、その組合せによる効果も、容易にとりうる構成から必然的に得られる程度のもので、特に予期されない効果があるとは認められない。

化合物

モルモット紫外紅班

鼠足試験感覚喪失

鼠毒性経口LD30

本件特許の請求範囲に属するもの

アセチルサリチル酸より効力のあるもの

4-イソブチルフエニル酢酸

2-4

2-4

1500

4-(1-エチルプロピル)フエニル酢酸

2

<1

250-1000

4-(1、2-ジメチルプロピル)フエニル酢酸

2

2

>1000

4-(2、2-ジメチルプロピル)フエニル酢酸

<1

2

>1000

4-(2-メチルブチル)フエニル酢酸

1

2

>1000

4-(1-メチルシクロヘキシル)フエニル酢酸

1

8

750

4-(1-エチルシクロヘキシル)フエニル酢酸

<0.5

1

>1000

4-インペンチルフエニル酢酸

1

1

1000

4-(1-メチルブチル)フエニル酢酸

1-2

0.5

250-1000

4-第2、ブチルフエニル酢酸

2-4

2

1200

4-第4、ペンチルフエニル酢酸

4

2-4

1000

ブチル4-第4-ブチルフエニル酢酸塩

<0.5

2

>1000

オクチル4-第4-ブチルフエニル酢酸塩

1

>1000

メチル4-第4-ブチルフエニル酢酸塩

1

>1000

イソプロピール4-第4-ブチルフエニル酢酸塩

0.5~1

2

>1000

プロピル4-第4-ブチルフエニル酢酸塩

1

2

1000

2-4′-第4-ブチルフエニルプロピオン酸

4

2-4

>1000

2-4′-シクロヘキシルフエニルプロピオン酸

32-64

32-64

500

2-4′-イソブチルフエニルプロピオン酸

16-32

8-16

800

2-4′-第4-ブチルフエニルエチルプロピオン酢酸

0.5

2

>1000

エチル4-イソブチルフエニル酢酸塩

1

>1000

ジエチルアミノエチル4-第4-ブチルフエニル酢酸塩

1-2

1

>1000

2-4′-イソブチルフエニルエタノール

2

>1000

エチル4-シクロヘキシルフエニルプロピオン酸塩

16

1000

エチル2-4′-イソブチルフエニルプロピオン酸塩

8-16

>1000

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例